アルプススタンドの由来とは?
「アルプススタンド」の由来
早いもので、甲子園も終わり9月に入りましたね。
甲子園といえば「アルプススタンド」という名前は有名だと思います。
ですがなぜ日本の野球場に「アルプススタンド」という名前が付けられたのでしょうか?
今回は「アルプススタンド」という名前の由来について調べていきたいと思います。
そういえば、なんでアルプススタンドって言うのか知らんかったんな。
その前に甲子園も良く知らないからアルプススタンドも初めて聞いたよ。
まぁ、あーたむは野球のルールも分からないでしょうしね。
そうなん?野球漫画でも貸そうか?
「アルプススタンド」の意味
「アルプススタンド」とは
兵庫県西宮市の甲子園球場の内野席と外野席の間にある大観覧席。
という意味で使われている言葉です。
甲子園球場の…って他の球場では使わないの?
どうやらそのようですね。
もともとは通称だったらしいけど、今では公式で使われているんな。
「アルプススタンド」の由来
高校野球の聖地と言われている甲子園球場は、最大47508人収容可能なとても大きな球場です。
ですが、現在アルプススタンドと呼ばれている辺りは、完成当時、木造20段の席数しかありませんでした。
そこで1929年に、高校野球の人気により増え続ける観客を収容するための工事が行なわれ、外野のファウルゾーン東西の20段の木造スタンドは、50段の鉄筋コンクリート製へと改修されました。
その年の夏、50段になった新設のスタンドは白いシャツを着た生徒で埋め尽くされました。
朝日新聞記者として取材していた人気漫画家の岡本一平は、その光景を
「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」
と表現しました。
8月14日の朝日新聞に風刺漫画とともにこの一文を掲載したところ、それ以来、その大観客席は「アルプススタンド」と呼ばれるようになったそうです。
ふーん?それでなんでアルプスなんだろうね?
観客席が高くて山のようで、しかも白いシャツの生徒でいっぱいだったからって書いてるじゃないですか。
それは分かったけどさぁ、上が白い山なら富士山でもなんでもいいじゃん。
よく分からんけど名付けた人にはアルプス山脈に見えたんやろ。
名付け親?
「アルプススタンド」と名付けた人
岡本一平が「アルプススタンド」と表現した経緯には2つの説が存在しています。
まずひとつは、当時の大阪朝日新聞編集局で、登山家でもあった藤木九三が考え、岡本一平がその話を伝え聞いたという説です。
【藤木九三】(ふじき くぞう)
日本の登山家であり、ロック・クライミング・クラブの創設者である。西宮市甲子園に住み、六甲山の岩場をロック・ガーデンと命名した。
そして、もうひとつは、一緒に観戦していた岡本一平の息子が、「アルプスのようだ」とつぶやいたという説です。
ちなみにこの息子とは、太陽の塔などで知られる、芸術家の岡本太郎だそうです。
岡本太郎ですか!
「アルプスのようだ」ってつぶやく子供なんておるん?って思ったけど、岡本太郎ならなんとなく納得するんよ。
岡本太郎って誰それ?
「芸術は爆発だ」って言った人…ですけど、もしかしてそれも知らないですか?
当然知らないよ~!
ヒマラヤスタンド
1936年、甲子園球場はアルプススタンドに続いて外野スタンドが改修・拡張されました。
アルプスに対して「ヒマラヤスタンド」という愛称が付けられましたが、こちらはあまり定着せず、その名前は自然消滅してしまいました。
アルプスに続いてヒマラヤか…。
流行に乗ったのに滑っちゃった感じだね。
二番煎じ感がありますからね。
まとめ
「アルプススタンド」とは「兵庫県西宮市の甲子園球場の内野席と外野席の間にある大観覧席」のことである。
50段になった新設のスタンドは白いシャツを着た生徒で埋め尽くされ、それを見た岡本一平は「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」と新聞に掲載したことが始まりである。
「アルプススタンド」と表現した経緯は、登山家でもあった藤木九三説と、岡本一平の息子である芸術家の岡本太郎説という2つの説が存在している。
岡本太郎といえば、前にガチャガチャ発見して回そうか悩んだんよ。
ガチャガチャなんてあるんですね。
フィギュアとかもあるんよ。シュールで可愛いんよ。あーたむも欲しいじゃろ?
え、いらない。
なんで!?