皮肉の由来とは?
「皮肉」の由来
「皮肉」とはどういう意味かご存じでしょうか?
「上司はいつも皮肉ばかり言う。」というように使うので、実際に使ったり聞いたりして知っている人は多い言葉だと思います。
ではこの「皮肉」とはいったい何なんでしょうか。
今回は「皮肉」の由来について調べてみたいと思います。
読み:ひにく
読み方はそりゃ知ってるんな。
「かわにく」じゃないんだね~。
マジでか…。
皮と肉という漢字を使っているので皮膚や肉に関係があるのだと思いますが…分かりませんね。
「皮肉」の意味
「皮肉」とは
①皮と肉。また、からだ。
②うわべだけなこと。また、そのさま。皮相。
③遠まわしに意地悪く相手を非難すること。また、そのさま。当てこすり。
④期待していたのとは違った結果になること。また、そのさま。
という意味で使われている言葉です。
主に③と④の意味で使われています。
相手が気にしていることなどをわざと褒めるような言いかたでつつくことを「皮肉」といいます。
また、「皮肉にも〜・・・となってしまった」や「皮肉なめぐりあわせ」というように、期待していたのとは違った結果になることも「皮肉」といいます。
「皮肉にも~」ってよく使うんな。けどこの「皮肉」と同じとは思ってなかったん。
「相手が気にしていることなどをわざと褒めるような言いかたでつつく」ってみーたむの得意技だよね。
ありがとうございます。
皮肉が上手いと皮肉を言う…すごい戦いなんな!
え?
「皮肉」の由来
「皮肉」は「達磨大師」が弟子たちに伝えた言葉である「皮肉骨髄」という仏教語に由来しています。
【達磨】(だるま)
菩提達磨は、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧。達磨、達磨祖師、達磨大師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。
だるま!?だるまってあのだるま?
えぇ、あのだるまの元になった人ですよ。
壁に向かって座禅を続けて手足が腐ってしまったという伝説にちなんであの形になったみたいなんな。手足がないあのころんとした形状にも意味があったんな。
何それ怖い…!
大師は、弟子たちの修行の程度に応じて「我が皮を得たり。」「我が肉を得たり。」「我が骨を得たり。」「我が随を得たり」と評価をしてきました。
ここから一文字ずつ取って「皮肉骨髄」と言います。
皮と肉は「表面的な理解」を意味し、骨と髄は「本質的な理解」を意味しています。
「我が皮を得たり」は、表面は理解しているが本質には達していないということを意味し、反対に「我が髄を得たり」は理解度が高いという評価であるということです。
つまり、「我が皮を得たり」は褒めていると見せかけて「まだまだ修行が足りませんね」と遠回しに非難しているのです。
このことから「皮肉」という言葉だけが残り、遠回しに欠点を指摘するような意味合いとして使用されるようになりました。
つまりどういうこと?
達磨大師が、「修行によって私の皮を得ましたよ」と言葉では褒めてるけど、「表面だけで本質(骨髄)まで達していないですよ、まだまだですね」という意味が裏にはあって、非難しているってことですよ。
私の皮ってなに?はぎとるの?
比喩ですよ。「皮肉骨髄」で、大師の身体、その信念・思想・行為のすべてを言うそうです。
つまり「髄」まで到達したら達磨大師と同じような考えの人間になれて、「お前に教えることはもう何もない。」って言われるような感じなんよきっと!
なるほど、ちょっと分かったかも。
まとめ
「皮肉」とは主に「遠まわしに意地悪く相手を非難すること。」「期待していたのとは違った結果になること。また、そのさま。」という意味で使われている言葉である。
「皮肉」は「達磨大師」が弟子たちに伝えた言葉である「皮肉骨髄」という仏教語に由来している。
皮と肉は「表面的な理解」を意味し、骨と髄は「本質的な理解」を意味している。
「我が皮を得たり」は褒めていると見せかけて「まだまだ修行が足りませんね」と遠回しに非難していることから「皮肉」という言葉だけが残り、遠回しに欠点を指摘するような意味合いとして使用されるようになった。
褒めていると見せかけて遠回しに非難とは高等技術すぎない?難しいよ~。
さっきはみーたむに言えてたんよ。
覚えてないなぁ~。
都合の悪いことはすぐに忘れられる便利な頭で羨ましいです。
ほら!やっぱりみーたむは皮肉うまいじゃん!褒められてないことは私でも分かるよ!