針のむしろ とは?
「針のむしろ」の意味
「針のむしろ」とはどういう意味かご存じでしょうか?
針のお城?
物騒なお城なんな。
いったいどんなお城ですかそれは…。
「眠れる森の美女」みたいな感じ!
なるほどなん。
「針のむしろ」の意味
「針のむしろ」とは
一時も心の休まらない、つらい場所や境遇のたとえ。
という意味で使われている言葉です。
自責の念や、周りの人たちから非難されたり、冷遇されたりなどで、気持ちが安らかではない境遇を指します。
仕事でミスしてしまったときに、まわりから非難されているときの心情でよく聞きますね。
それに、実際は非難されていなくても、非難されている気がするってことで使ったりもするんな。
仕事でミスしたくらいで落ち込まなきゃいいのにね~。
みんながあーたむみたいな性格なら、パワハラも鬱も無くて平和な世界でしょうね。
「針のむしろ」の由来
「針のむしろ」の「むしろ」とは何かご存じでしょうか?
知らないよ~。
「むしろ」とは
藺 (い) ・わらなどを編んで作った敷物。
のことを指します。
「むしろ」は漢字で「筵」と表します。
また、「蓆」「莚」と表す場合もありますが、どれも常用漢字ではないので、ひらがなで表すことが一般的だと言えます。
「むしろ」は、畳が登場する前の日本ではよく用いられており、一般的な家ではむしろを地面に敷いて生活していました。
「針のむしろ」とは、「針を植えた敷物」の上に、座るようなイメージです。
痛い痛い痛い~!
それほど辛い、居心地が良くないことを表しているんでしょうね。
居心地良くないどころじゃないんよ!おしりや足に針が刺さってるんよ…!
ところで、「むしろ」の意味の「藺 (い)」ってなに?
【藺草】(いぐさ)
イグサ科のイの別名。イグサ科の多くは多年草で、温帯から寒帯に8属約400種、日本には2属30種が自生。
「針のむしろ」の出典
「針のむしろ」の出典は、江戸時代中期の談義本『世間万病回春(せけんまんびょうかいしゅん)』です。
【談義本】(だんぎぼん)
江戸時代、宝暦(1751~1764)から安永(1772~1781)ごろにかけて多く刊行された滑稽 (こっけい) な読み物。宝暦2年刊の静観坊 (じょうかんぼう) 好阿の「当世下手談義 (いまようへただんぎ) 」に始まる。談義僧・講談師などの口調をまね、おかしみの中に教訓をまじえ、社会の諸相を風刺した。滑稽本の先駆をなす。談義物。
この中に、「夫をおして居んとすれば針(はり)の筵(むしろ)に尻すへるがごとくしばらくも安き心はない筈也」という一節が出てきます。
江戸時代の本の中で使われていた比喩表現が今でも使われているって感じかな?
へぇ~、凄いねぇ~。
使い方
「針のむしろ」は敷物なので「針のむしろに座る思い」や「針のむしろに座らされる思い」など、「座る」という動詞と一緒に使います。
また、「針のむしろ状態だ」「針のむしろだ」と、「座る」を一緒に使わないこともあります。
妻や子供に冷たくされて、針のむしろ状態のお父さんって結構いそうですよね。
しかも飼っている犬にもお父さんだけ吠えられたりとか。
かわいそうだなぁ。お父さん大事にするためにも、今年の父の日には豪華なプレゼント渡すよ!
残念ですけれど、父の日はついこの間過ぎましたよ。
え?過ぎてたの気付かなかった!
まとめ
「針のむしろ」とは「一時も心の休まらない、つらい場所や境遇のたとえ。」という意味で使われている。
「むしろ」とはイグサやわらなどを編んで作った敷物のことで、「針のむしろ」とは、「針を植えた敷物」の上に、座るようなイメージである。
「針のむしろ」って、畳が流通してからだったら「針の畳」って言葉だったんでしょうね。
もし現代なら「針のじゅうたん」かな?
「むしろ」の時代で良かったんな。