不俱戴天とは?
「不俱戴天」の意味
「不俱戴天」とはどういう意味かご存知でしょうか?
読み:ふぐたいてん
ふぐたいてん…名前聞いただけでお腹空いてくるね?
空きませんけど?
なるほど、フグと鯛の天ぷらか…。
おぉ!座敷あらしも分かる?
そんなの思いつきもしなかったんな。
意味
「不俱戴天」とは
同じ天の下には一緒にはいない、同じ天の下には生かしておかない意で、それほど恨みや憎しみの深いこと。
という意味の故事成語です。
「俱」は
①つれだつ。ともに。みないっしょに。
②梵語(ボンゴ)・外国語の音訳に用いられる。
という意味で、その前に打消しの「不」があることで「一緒にいられない」という意味を表しています。
また、「戴」は
①いただく。頭の上に物をのせる。
②ありがたくうける。もらう。
③長としてあがめる。
という意味があります。
「戴天」で「天をいただく、天の下にいる」、つまり、「生きていく」ことを表しています。
「戴」は「載」とは違うので、間違わないように注意しましょう。
恨みや憎しみ…あれ?なんだかシリアスな感じ?
えぇ、こんな物騒な内容の時によくボケれましたね。
さすが我らがあーたむ!尊敬するんな!
ボケたつもりじゃないんだけどなぁ…。
由来
「不俱戴天」は中国の『礼記(らいき)・曲礼上』に由来しています。
【礼記】(らいき)
儒教の最も基本的な経典である「経書」の一つで、『周礼』『儀礼』と合わせて「三礼」と称される。
『礼記(らいき)・曲礼上』の中に、「父の讐(あだ)は倶(とも)に天を戴(いただ)かず」と出てきます。
「父親の仇とは同じ天の下にいることができないほど憎い。どちらかかが死ぬまで戦う。」というような意味で使用されています。
またそのあとには、「兄弟の仇は、兵に反らず。交遊の仇は、国を同じくせず」と続いています。
これは、「兄弟の仇には兵器を取りに家に行かずその場ですぐ闘う。友人の仇とは同じ国に住むことはできない。」というような意味で、父の仇と同様、敵を討つことを説いたものです。
本来は、「父が殺されたら息子はその仇を討つべきだ」ということを言っていたが、のちに、「殺してもあき足りない相手」に対して使われるようになりました。
「やられたらやりかえせ!」ってことだね。
こういった昔の偉い人のおしえって、神みたいに、「復讐からは何も生まれません」とか説いているのかと思ったら、めっちゃ人間的な考え方なんな。
親近感湧きますよね。
類語
「不俱戴天」に似た言葉をいくつか見ていきましょう。
「意趣遺恨」(いしゅいこん)
他人への深い恨み。何かの手段で晴らさずにはいられない忘れられない恨み。
「恨み骨髄に徹する」(うらみこつずいにてっする)
人を恨む気持ちが非常に激しく心の奥底にまで浸透しきっているさま。
「倶不戴天」(ぐふたいてん)
不俱戴天と同じ。
同じ天の下には一緒にはいない、同じ天の下には生かしておかない意で、それほど恨みや憎しみの深いこと。
グフ!?
グフに全て持っていかれたん。
まとめ
「不俱戴天」とは「同じ天の下には一緒にはいない、同じ天の下には生かしておかない意で、それほど恨みや憎しみの深いこと。」という意味の故事成語である。
『礼記(らいき)・曲礼上』の、「父の讐(あだ)は倶(とも)に天を戴(いただ)かず」に由来している。
なんだか天ぷら食べたくなってくるね!天丼とか!
私は天ぷらうどんがいいです。
揚げたてのエビ天をうどんの汁につけたらジュワジュワ音がしててたまらんのんな!
なにそれ!私もうどんがいいなぁ~。