穿った見方とは?
「穿った見方」の意味
「穿った見方」とはどういう意味かご存知でしょうか?
読み:「うがったみかた」
ん?腐ったみかん?
穿ったですよ。穿った見方。
腐ったみかんとは我々3人のことなんな。
え、私も…!?
最近の使われ方
最近は「疑ったような見方」「ひねくれた見方」のような良くないイメージでよく使われていますね。
「彼は穿った見方をする人だ。」
というように人の性格を表して使われますが、この一文の彼は、「疑ったような見方」をする人でも、「ひねくれた見方」をする人でもありません。
疑っても、ひねくれてもいないなんて、みーたむと正反対の人なんだね!
今なにか言いました?
本来の意味
「穿った見方」の「穿つ」には
・穴をあける。掘る。また、突き通す。貫く。
・押し分けて進む。通り抜けて行く。
・人情の機微に巧みに触れる。物事の本質をうまく的確に言い表す。
という意味がある。
「うがつ」とは「穴を掘る」という意味であり、そこから「物事を深く掘り下げ、本質を的確に捉える」という意味でも用いられる言葉です。
ですから「うがった見方をする」とは
物事の本質を捉えた見方をする
という意味になります。
ちなみに「穿つ」には袴・履物などを身に着けるという意味もあるらしいんな。
「ズボンを穿(うが)つ」って言うの?聞いたことないよ~。
そこは「ズボンを穿(は)く」で良いですよ。「穿」の読み方が変わるだけです。
ややこしい~!
誤用の定着率
平成23年度の「国語に関する世論調査」で、「うがった見方をする」の意味を尋ねたところ、
本来の意味の「物事の本質を捉えた見方をする」と答えた人は26.4パーセント、
本来の意味ではない「疑って掛かるような見方をする」と答えた人は48.2パーセントという結果が出ています。
また、20.3パーセントもの人が「分からない」と答えています。
間違えている人の方が多いのは毎度のことだから良いとして、「分からない」人も意外と多くてビックリしたよ。
5人に1人ですからね。
…ビックリ?あーたむも分からなかったはずなんな。
なぜ誤用されることが多いのか
「穿ち過ぎ」という言葉はご存知でしょうか?
「穿ち過ぎ」とは
物事の本質や人情の機微をとらえようと執着するあまり、逆に真実からかけ離れてしまうこと。
という意味です。
物事の本質を見ようと掘り過ぎて、本質とはかけ離れた物を見つけてしまうことはあると思います。
まして、「穿った見方」は、物事の見えない部分や隠された部分にある真実を探そうとすることですからとても難しいことです。
「穿ち過ぎ」にならなくとも、本質にたどり着かなかったり、間違った認識に至ることもあります。
また、「穿った見方」で、物事の真相や人情の機微に深入りしすぎることもあるでしょう。
探られる側としては当然気持ちのいいものではなく、何かを疑われているように感じるかもしれません。
そのことから「穿った見方をする」という言葉が「疑ったような見方」という、余り良くない意味合いで捉えられるようになってきたのかもしれません。
なるほど、正義感溢れる警察官のお兄さんが解決済み事件に不信感を持って、解決後も一人で調べていたら、警察のお偉いさんが黒幕だったと知っちゃうアレね。
うむ、そしてそのお兄さんは警察を辞めて、一人で事件の裏側を捜査していたら…っていうアレな。
いや、何ですか、それ。
まとめ
「穿った見方」とは
「物事の本質を捉えた見方」である。
しかし最近は「疑って掛かるような見方」という意味で使われることがある。
本来は良い意味の言葉なのに、本来の意味を知らない人にとってはあまり良くないイメージなので注意が必要である。
その…例のお兄さんはそのあとどうなるんですか?
ん?なんの話~?
続き気になってるん?貸そうか?